第三章 私の名前は化学塩 342

  不純物や水分やニガリが多いためにベタベタしており、水切りが大変悪くて黒黄っぽい色をしており、苦みがある劣悪の塩でした
  塩の純度は
60%~70%、市場で流通している塩のほとんどは、この差塩が販売されていたのです

  各家庭ではむしろを二つ折りにした袋であるカマスに入ったこの劣悪の塩を、土間や納屋に置き、ある程度のニガリ抜きや水分抜きをするのです。そして少量ずつ焼いたりして、塩壺や瓶などに小分けして使うわけです
  ニガリ抜きしてない塩を使おうとすると、その家の年寄りに「そのまま食べると死ぬぞ」とよく言われたと多くの年配の女性は言います
  この表現はオーバーとしても、このまま使用すると粗悪なニガリによって下痢がしやすいので身体には優しくないのと、料理に使うと味に苦味が出て料理本来の旨みが出ないのが原因だったようです
  ニガリが多くてもいろいろな欠点があったようです


 カマスに入った差塩は土間や納屋に置かれたために、梅雨時や夏には塩の中のニガリ分が更に湿気を帯びて土間へ流れ出たものです。それに土や埃などが付着しため、土間を汚すため主婦を悩ましていました
  この差塩を倉庫などで一
二年放置した塩を、枯れ()塩とか古積塩と呼ばれ、ニガリ分が少ないので大変人気があったようです
  昔の塩は今と違って遠心分離機を使って水分を飛ばしませんし、また塩を乾燥させませんのでニガリ分も水分も多く含まれていました
 

塩の中の不純物を夾雑物(きょうざつぶつ)と言いますが本書では使いません

  この 古積塩についてこんな逸話もあります。江戸時代には入浜塩田が改良され、十州塩と呼ばれる赤穂、讃岐などの瀬戸内海で作られる塩が、品質もよくて江戸や各地で流通していました
  今の千葉県の市川市にも行徳塩田と呼ばれる塩田がありました。ここで生産される行徳塩は、江戸城が攻められた時の非常用の備えとしての重要性があるため、幕府は行徳を天領として塩作りを奨励保護していました
  江戸までの距離が近いのでコスト的には安いのですが、品質面では十州塩より落ちるために人気のない塩でした

 

   この行徳塩を穴蔵などに入れて半年から一年ほど時間をかけて、ニガリや水分抜きをした精製塩を販売したところ、古積塩と呼ばれ、江戸はもちろん今の東北、北関東などでも大変な人気を博したのです
  この塩の特徴は遠路を運んでもニガリ分や水分がある程度除去してあるために、品質が十州塩よりよくて目減りも少ない点でした

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