第一章 食塩、汝の名前は化学塩 113

   その御上の塩を卸したり、売ったりする業者は専売塩を扱っているという誇りもありましたし、扱うこと事態が大変名誉な事でもありました。特に塩の卸業者 に指名される者はその地方の名士しか選ばれませんでした

   また塩の*6販売許可を受けた店は、タバコや酒ども同時に許可が下りることが多く、それらの許可が下りれば、お店の繁栄が保障されたのと同じ事でした。農村部や山間部の塩やタバコの販売店などは、福の神である専売公社などに感謝の意を込め、職員が調査などのために来店すると、店主はご馳走や酒で職員を歓待しました。帰り際には手みやげまで用意して、下にも置かぬもてなしをしたものです

  これらの
販売許可には、塩なら塩の、酒なら酒の、タバコならタバコの販売店同士の競合を防ぐための、すなわち専売金を円滑に納めさせるために認可の条件が厳しく定まっていたのです。特に店同士距離制限や一店舗当たりの人口割りなどが、新規の販売店の参入を防ぐための砦にもなっていました。新たに許可を取ることは至難の業で、国会議員などに働きかけをしても無理な場合もあったようです

*6塩やタバコは専売公社、酒は税務署、郵政省の葉書、切手、収入印紙なども販売

しかし時代が移り変わり、都市に人が集中するようになると、規制緩和が進みスーパーが駅前や繁華街そして郊外にまで出店するようになりました。そして モータリゼーションが普及するとともに、私達の多くは今まで利用していた近所の食料品店八百屋などを見限り、品揃いが多くて回転が速くて、鮮度の新しい食品を揃えたスーパーへと車で出かけて、まとめ買いまでするようになったのです

  その影響をもろに受け、都市やその周辺にあった八百屋、食料品店、雑貨屋、酒屋、肉屋
などが営業不振のために次々と店をたたみました。先ほどの毎日たくさんの人が出入りして活気があった郡部の店でさえ、雨戸を一日中締めるようになり、表の店の間口の広さや大きな看板だけが当時のお店の繁栄を偲ばせています。
  専売制という時代の波に乗り、部落や町内の食料や
嗜好品などをほとんど扱って繁盛していた店も、今度は規制緩和と言う別の時代の波に飲み込まれて廃業へと追い込まれたり、コンビニへと商売形態変えたりしたのでした

 

そして塩の専売制も終わりを告げ、塩の自由化が行われたのです。この塩の自由化を遡ること三十二年前に、専売塩は塩の製法の転換を行いました。日本特有の塩田から、イオン交換膜製塩方法に変ったのです。新しい製法による食塩が市場に出回るようになりましたが、消費者からのクレームらしいクレームはほとんどなかったようです

   しかしこの塩の製法の変換は「*7塩田塩を選ぶことが出来ないのは、すなわち生命維持に関する基本食料の選択を奪うのは、基本的人権の侵害である」などと訴えた、自然塩運動を惹き起こす切っ掛けにもなったのです。
  そして塩専売廃止が国会で議論が伯仲するようになると、食塩の品質についてとやかく言われるようになりました
  「沢庵や白菜などの漬物が腐った」とか、「アサリの砂出しが上手く出来ないので、じゃりじゃりの味噌汁を飲まされている」とか、「糠味噌漬けが上手く熟成しない」とか、「梅干が腐った」とか
自然塩を支持する人達から非難されたものです


   また自然塩を支持する学者などは、自著やマスコミを通して「自然塩には大量の*8ミネラルが含まれており、それらが複雑な味を醸しだし、料理に使うと一味も二味も違う」とか、「自然塩に含まれるミネラルが生活習慣病の予防にも、治癒にも良い影響を及ぼす」などと自然塩を褒め契ったものです
   逆に「*9精製塩は化学的合成した塩」とか、「*10イオン塩はイオン交換膜の溶出の恐れがあり摂取は危険」とか、「海水の電気分解で作った塩には不安がある」とか「製塩ミネラルの欠落は将来重大な影響を与える」とか、機会ある毎にテレビや本で話したり書いたりして、食塩を扱き下ろしたものでした

 

*7塩田塩・・後術する日本独特の「流下式塩田」を利用して出来た塩 
*8ミネラル・・・・塩では塩素、ナトリウム以外のミネラルを指す 
*9精製塩・・・TV、雑誌、塩に関係する本での「精製塩」とは家庭用の「食塩」、業務用の「並塩」を指している場合が多い。本来は塩事業センターが販売している、メキシコなどの天日塩を原料とした99.5%以上の塩

*10イオン塩・・イオン交換膜製塩によって製造された家庭用の「食塩」、業務用の「並塩」の事を指す 


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